東京国立博物館所蔵 Image:TNM Image Archives
「沖の石」をよんだ和歌で「小倉百人一首」に選ばれた歌人
二条院 讃岐
1141年(保延7年・永治元)?~1217年(建保5)?
歌人。「わが袖は潮干に見えぬ沖の石の 人こそ知らね乾く間もなし」の歌が評判となり、「沖の石の讃岐」と呼ばれるようになりました。宮川(小浜市)に領地があったとされることから、この歌が若狭湾に浮かぶ沖の石をよんだものであるという伝承が残っています。
・歌の意味は、「私の袖は引き潮の時にも見えない沖の石のように、人は知らないけれども、いつも涙にぬれて乾くひまもないのです。」というものです。
・若狭の古文書に宮川の領主として名前の見える「讃岐尼御前」などを二条院讃岐とする説がありますが、没年と合わない点があるため、別人とする説もあります。
しらべる本
- 『若狭湾と中世の海の道』(福井県立若狭歴史民俗資料館、2005年)
- 『ふくいの先人たち 古代・中世』これき人物シリーズ4(福井県立こども歴史文化館、2013年)
- 『ふくいの先人たち ミニ事典』これき人物シリーズ6(福井県立こども歴史文化館、2015年)