「敦賀」の地名の由来になった、朝鮮の王子
都怒我阿羅斯等
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朝鮮半島の意富加等国(おおからこく、任那(みまな))から渡来したといわれる王子。奈良時代に書かれた歴史書「日本書紀」によると、崇神天皇(すじんてんのう)に会うため、海を渡って来たとされています。王子の額に角があったとされ、このため船で着いた場所が「角鹿」(つぬが、つのが)といわれ、やがて「敦賀」(つるが)と呼ばれるようになったと伝えられています。
・名前は「つのがあらしと」と読むこともあります。
・意富加等国は朝鮮半島南部にあった国、任那は意富加等国、あるいは周囲の国ぐにを含んだ地域の別名です。
しらべる本
- 『敦賀市史』通史編上(敦賀市役所、1985年)
- 青山晴男『若越をひらいた人たち』(東洋書院、1980年)
- 『ふくいの先人たち 古代・中世』これき人物シリーズ4(福井県立こども歴史文化館、2013年)
- 『ふくいの先人たち ミニ事典』これき人物シリーズ6(福井県立こども歴史文化館、2015年)